2018年07月31日

【自分の考え】

高岡七夕まつり

こんにちは、瀬川侑希です。

 

いよいよ明日8/1(水)~8/7(火)で「高岡七夕まつり」が開催されます。

 

私は、この七夕まつりが、なぜか無性に好きです。

 

高岡の農村地域に生まれたので、

普段は人ごみと無縁の生活でしたが、

夏のこの時期、歩道に露店がずらーっと並び、

ぶつかりながらしか進めない人の多さに、小さい時とてもワクワクしました。

特に中学生になってからが楽しく、1人で外出できるようになったので、

目的もないのに友達と毎日七夕まつりに行って、何を買うわけでもなくふらふら歩きながら、

「あそこに〇組の△△おったぞ」なんていう、『だれだれを見つけた』というただそれだけの話で大盛り上がりだったのを覚えています。

今も続いておりますが、当時から3on3が開催されており、夏夜に大人が路上でバスケをしている姿がとてもかっこよかったのも思い出します。

 

 

3年前にUターンして、2015年8月、10年以上ぶりに七夕まつりを見ても、思い出すのは中学生時代のことで、とても懐かしい気持ちになりました。

 

Uターンして様々な方と高岡のことを話していると、時々、このようにおっしゃる方がいらっしゃいます。

「昔の七夕まつりはすごかった。両側の笹と笹が空中でぶつかとったもん。トンネルみたいやった。今はなぁ…。」

 

七夕まつりが好きだからか、言われるとちょっと悔しい気持ちになるのですが、言われてみると…。

あまり意識していなかったのですが、確かに小さい時の七夕まつりは竹が高かった印象があります。

しかし、当時は身長が低いので、その頃はすべてが高く、大きく見えた可能性もあります。

 

そこで、ちょっと調べてみました。

(こんなことに時間使うな、と言われそうなので言い訳をしますが、ほんとにちょっとの時間しかかけていません。だからお許しください。)

いくつかの市の資料を見た中で、1番七夕まつりの笹がダイナミックな写真はこれでした。

なるほど。両サイドの笹が空中でぶつかってはいないけれども、確かに高いし、隣の竹との間隔も短そう。

 

じゃあ今はどうだろうかと思って、昨日会場を見に行ったら、

あれ?確かに全体的には寂しいかもしれないが、笹が空中でぶつかりそうになっている!

こちらも今年の写真です。ぶつかってはいないが、あと数m!

 

一方で、オタヤ通りの向こうは、

確かに、こちらはちょっと寂しいかもしれません。

 

では高さが問題ではなく、竹の本数の問題だ!と思ってさらに調べてみました。

 

当然ですが、七夕まつりは、誰かがお金を払って実施されております。

例えば今年でいうと、1,700万円くらいの予算で実施されており、

行灯協賛が680万円程度、

広告協賛が320万円程度、

市の補助金が630万円程度、などで成り立っています。

 

竹の高さには2種類あり、

6m級の竹が200本、50万円で購入しております(1本2,500円)。

この他に、中越パルプさんのご厚意で12m級の竹を38本寄贈頂いております。(ありがとうございます!!)

写真の中央が12m級の竹で、それ以外が6m級の竹ですね。

 

恐らく、昔は協賛もよく集まり、12m級の竹が多かったのではないでしょうか。

 

じゃあ、あと200本の12m級の竹があれば、すべて高い竹に置き換わるのか、というとそうでもなくて、

このように、高い竹は飾り付けも多いので、その重みに耐えられるように、2~3本くくりつけております。

 

なので、後600本の12m級の竹があれば、すべて高い竹になり、昔の姿に近づけられるのではと思っています。

 

 

たかが七夕祭りであり、すべて高い竹になり、両サイドの笹が触れ合い、トンネルになったから、

だからどうだとおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。

 

しかし、私がそうだったように、

年に数回でもいいので、

普段とは違う高岡の姿を、

未来ある子どもたちに見せて、驚かせて、

この街に生まれた事を誇りに思ってほしいなぁ、と思っています。

 

そして、

昔の姿を知っている方々にも、

もう一度全盛期の七夕まつりを見せて、

高岡の底力を見せたい。

 

だから、もう少し時間はかかるかもしれませんが、

いつか必ず、全盛期の七夕まつりを復活させたい、と思っています。

 

 

ちなみに、高岡七夕まつりでは、「高岡マイ七夕コンテスト」というものがあり、

市民が思い思いの七夕を制作し、コンテストに応募できるようになっています。

 

私も昨年、「高岡熱中寺子屋」のメンバーで応募し、賞を頂きました。

この市民が応募できる取り組みは、とっても素敵だと思います。

 

文苑堂の前には、おなじみのドラえもんの七夕があります。

ちなみに、勝手につけた私的グランプリは、氷見市から応募のこの作品です。

会場にあるので、探してみてください!

2018年07月03日

【教育】

高岡市はまた過ちを繰り返すのか-小学校統廃合に思う

こんにちは、瀬川侑希です。

 

以前、ブログでこのような事を書きました。

「30年後」の未来に僕らは立っている

”よくも悪くも、30年前に決まった事の上に僕らは立っています。「今」の決定が「30年後」に「資産」にも「負の遺産」にもなりえます。「今」だけではなく「30年後」の未来にも責任をもって、『あれは俺らの時代に決定したんだぜ!』と子どもたちに誇れるような決断をしていきたいです!!”

 

新高岡駅が高岡駅と離れた場所に建つ事が決まったのは約30年前です。良い面も悪い面もあると思いますが、2つの駅の周辺整備をきっかけに高岡市の財政状況がここまで悪化する事になろうとは、恐らく30年前には予想できなかったのではないでしょうか。

※高岡市は新高岡駅の周辺整備に104億円、高岡駅の周辺整備に150億円を投資(2006年~2014年)

 

さて、そして現在、

高岡市では、小学校の統廃合が進められようとしています。

これには大きく3つの理由があります。

 

①子どもの数が減っている

市内小学生の数は、ピーク時の昭和56年の約40%になっています。

 

②小学校の維持管理費は子どもの数にあまり影響されない

教員の給与は国と県が負担しますのでこの表には表れませんが、それ以外の市町村が負担する部分を見ると、だいたい1小学校あたり年間3,000万円~4,000万円の維持管理費がかかっています。児童が少ない小学校と児童が多い小学校とで維持管理費には大きな差がないのです。

 

③教育の面でも、一定規模を維持した方がよいのではないか

現在高岡市では、1学年30人以下の小学校が6校存在します。少人数教育のよい面もあると思いますが、多様な同級生・多様な先生と出会うためにも、一定の規模は必要かと思います。

 

 

この大きく3つの理由から、高岡市では小学校の統廃合が検討されており、

まずは五位中学校区の東五位小学校、千鳥丘小学校、石堤小学校の統廃合が検討されています。

 

 

私は、小学校の統廃合には賛成の立場です。

しかし、今、高岡市では非常に不可解な決定がなされようとしています。

 

それは、3つの既存小学校のどれかを使うのではなく、統廃合に合わせ、新たに五位中学校隣に土地を取得し、新小学校を建設しようとするものです。

 

 

私は、高岡市の財政悪化の最大の原因は、

公共施設を作りすぎ、そして作ったのと同程度の量を手放せなかった事、

そしてその背景には、地域ごとの予算の引っ張り合いがあったと考えています。

 

例えば、3つの小学校の耐用年数を見ると、

通学区域など利便性を考えると石堤小学校は現実的でないかもしれませんが、

地区の中心である東五位小学校はまだまだ使える施設であり、

東五位小学校よりも古い小学校は高岡市に11校も存在します。

 

一方で、地元自治会からは、

このような意見書が出されており、

 

https://www.city.takaoka.toyama.jp/ksomu/kosodate/tekisei/documents/ikensho.pdf

 

奇しくも、この意見を反映する形で新小学校建設が進められようとしています。

 

これは、検討会議の議事録です。既存校舎では300人が限界だという意見が述べられています。

一方で、過去には東五位小学校に500人が通っていたという事実があるのに、

その事実には触れられずに会議は進んでいきました。

これには、「結論ありき」であり、検討会議とは名ばかりだと思わざるをえません。

 

 

小学校は統廃合していくべきだと思います。

しかし、なぜ、使える既存施設を使わず、新しい校舎を建設するのでしょうか?

一般に新小学校建設には30億ほどかかります。

まして、土地取得のためのお金も必要なので、総費用はもっとかかるのです。

教育にお金はかけるべきだと思いますが、それはハードにではなく、ソフトにかけるべきだと思います。

高岡市では公共施設を削減しようとしているのに、3校の跡地利用の問題も抱え、また公共施設が膨らみます。

 

こういう事をしていたから、高岡市は今の状況を迎えたのではないでしょうか?

昨年度末、市は市民説明会で何度も何度も謝罪していました。

同じ事を繰り返すならば、あの謝罪はなんだったのでしょうか?

年間60万円の費用を抑えるために、市役所内のエスカレーターを停めた、あの覚悟はなんだったのでしょうか?

 

今回の小学校統廃合は、これからの小学校統廃合のモデルとなります。

 

以前のブログにも書きましたが、

私たちが、「なぜ新幹線駅を現駅とくっつけてくれなかったのか?」と少なからず思ったように、

30年後、「なぜあの時期に小学校を建設したのか?小学校の建物ならもともとあったのに…。」と思われる気がしてなりません。

 

「500人以上の児童が通っていた実績があって、まだ耐用年数を迎えていない校舎がある。」ということを天秤に載せずに、「新校舎を建設すべき理由」だけを天秤に載せているような、

そんな進め方は正しい物事のはかり方なのでしょうか。

 

私は、この進め方に非常に憤っています。

進め方に納得いかない以上、新校舎建設には反対です。

高岡市はまた過ちを繰り返すのでしょうか。

 

※補足

今回のブログは、特に当該の地区にゆかりのある方々にとって、不愉快な内容だったかもしれません。ただ、私はこれがもし自分の出身学校だったとしても同じように進め方に憤り、既存校舎が利用できるうちの新校舎建設に反対します。(小学校の統廃合には賛成です。)