2024年01月11日

忘れられない元日に…

「明けましておめでとうございます。」

当たり前だったこの言葉が使えないくらい、大変な正月になりました。

2024年01月01日16時過ぎ。

石川県能登地方を震源とするマグニチュード7.6の大きな地震が発生しました。

□当日

私が住んでいる高岡市でも震度5強。発生した瞬間は自宅(木造)にいましたが、東京のオフィスで経験した東日本大震災よりも自分の体感としては大きく、非常に恐怖を感じました。

発生後。余震に備え、非常食などすぐに逃げられる準備をしながら、テレビをつけ情報収集。私の携帯にはいろんな方から被災情報と写真が次々と送られてきました。

地元の建設業者がすぐにコーンを設置。的確な判断に感謝申し上げます。

東日本大震災の経験から、しばらくは余震が頻繁に起こることを家族で確認。備えるとともに、この瞬間自分にできることはそれを伝えることと思い、「余震に備えて!」と近所の高齢者宅を訪問したり、知人に伝えたりSNSで呼びかけました。

夜になるにつれ、少しずつ状況が県に集まりました。震源の能登の被害とは比べられませんが、県内の被害も相当なものであることが分かりました。

□2日目、3日目

1月2日、3日は住民の方からの問い合わせ・相談に応対したり、現地状況、避難所状況を確認。

寒さもあり、避難所の環境は厳しいものがあったと思いますが、幸い物資は足りているとのことで、大変安堵しました。

□4日目

1月4日は伏木、氷見両地区から要請があり、自民党県連政務調査会として現地を回りました。県内でも被害の大きい両地区だと報道されてはおりましたが、想像以上の被害で、あちこちで懸命な復旧作業が行われていました。

全壊やあきらかに傾いた家屋が報道されますが、外からは大丈夫そうに見えても内部にかなり被害があったり、液状化した土砂の範囲の広さであったり、実際に見て分かることもたくさんありました。

回っていると、住む場所や想定される費用、これからの生活への不安がたくさん聞こえてきました。保険や制度。決まったルールが基本となりもどかしい気持ちですが、声を届け、形にするのが私たちの仕事。県や国にしっかり伝え、少しでも早い復旧、少しでも負担を減らせるよう尽力したいと思います。

大変励まされる連絡もありました。1月2日に、友人の内藤徳島市長から「報道を見て、自分たちにできることを考えている。何かできることはないか?」と相談がありました。

氷見市役所に繋いだところ、断水世帯が市内に多く、不足している飲料水を届けてくれることに。みなさんも正月休みであったであろうに、半日たらずのスピード感で決断し出発してくれた徳島市にこの場を借りても感謝申し上げます。

最も被害の大きかったのは能登地域ですが、道路が寸断され、能登には物資を届けられない。その中で今できること、と氷見市へ運んでくれました。

氷見の方が喜んでくれた反応を見て、本当によかったと感じました。

また、全国の友人から心配のメッセージをもらい、こちらも大変励まされました。瀬川、元気です。

2016年の熊本地震では、犠牲者のうち、直接死は50人、その4倍以上の218人が災害関連死でした。慣れない避難所などで体調を悪化させたことが一因です。

まだ県内でも100名近くの方が避難所生活を送っておられます。壊れた自宅で暮らしている方もおられます。

県内における災害関連死を出さないよう、

1日でも早く復旧し、富山県として能登の支援に全面的に移らなければいけません。(特に住まいに関しては、戻って作業しやすいため距離も近い富山県でまとまった数を提供することが、最も大事だと考えます。県も動いていますが、ホテルや旅館、不動産物件を一元的に集約し、石川県の要請を待たずに情報提供するよう、働きかけていきます。)

大変なスタートとなりましたが、、、一方で元気の出る明るいニュースも届けられるよう、1年間頑張ってまいります。今年もよろしくお願いします。