2024年08月17日
お盆に思う
こんにちは、富山県議会議員の瀬川侑希です。
(今回(も笑?)、とりとめのない内容になりますが、お盆にいつも私が考えていることでして、お許しください。)
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8月15日に富山県戦没者追悼式に出席しました。
先の大戦で命を落とされた日本並びに全ての国の先人に、謹んで哀悼の誠を捧げます。
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戦没者追悼式にはよっぽどのことが無い限り出席するようにしています。
今の世が先人の犠牲の上に成り立っていることを忘れず、
平和のために、富山県民・高岡市民の幸せのために、一生懸命仕事をする。
私にとって、戦没者追悼式はこのことを毎年確認する場です。
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ちょうど数日前に、
パリ五輪、卓球日本代表の早田ひな選手が、帰国後の記者会見で、
「鹿児島の特攻資料館に行って、生きていることを、自分が卓球を当たり前にできていることは当たり前じゃないということを感じたい。」
という発言をされました。
早田選手ほどの方なら、ご自身の発言がどのように広がっていくか分かっていて、その上で勇気を持って発言されたのだと思います。
個人的な考えになりますが、私は「よく言ってくれた」という気持ちになりました。その勇気に拍手を贈りたいと思います。
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もちろん、戦争や特攻にまでいたった経緯は賞賛されるものではありません。「二度と戦争や特攻が起こらないように」考えることが大事だと思いますが、
終戦から79年が経ちました。当時を覚えている方も少なくなっています。
早田選手の発言をきっかけに、平和や先人の犠牲、おっしゃる通り「当たり前にできていることは当たり前じゃないということ」を考える方が少しでも増えたらいいなと思います。
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戦没者追悼式と早田選手の発言。お盆という時期もあって、自分の中で繋がりを感じたため、紹介しました。
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お盆にはお墓参りにも行きました。
生まれる家は選べません。だからこそ、どんな家に、どんな環境に生まれようとも、可能性と選択肢がある世の中にしたい。
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これが私の信念ですが、
一方で先祖の1人でも欠けていたら私という人間は生まれていません。
ずっとずっと昔から、それぞれの時代で先祖が一生懸命生きてきて、私という人間に繋がっている。お墓参りではいつもこの奇跡というか繋がりを感じています。
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私の苗字には「川」という字がついていて、大変気に入っています。
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ある方が、「川」の字に関してこんなことを言っていました。
「大相撲で「川」のつく力士がいなくなった。幕内では2011年以来いないらしい。日本人では1992年以来いないらしい。「山」とか「海」とか大きなものばかり見るようになって、日本人はそれを繋げている「川」を感じにくくなったのかもしれない」
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自分に「川」がついているからか、この話はとても印象に残りました。
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私自身、分かりやすいものに目が行きがちになります。
しかし、背景とか繋がりとか、隠れがちになることにもしっかり目を向けたい。そういう意識で仕事をしたい。
「川」の字を持って暮らしてきた先祖のお墓参りをして、そういうことも思いました。
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最後に、これは別のある方に紹介されたグラフです。
みなさん、これを見て何をお感じになるでしょうか?
戦争は二度と起こしてはいけません。
先の大戦で多くのものを失った日本ならなおさらです。
だから、「もし戦争が起こったら」という問いが、私たちに合わないのかもしれません。
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しかし、これが「誰かがなんとかしてくれる」という意識からの回答だとしたら、私たちは大事なことを忘れてしまっているのかもしれません。
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私も含めて、私たちは普段から、「国がダメ」「県庁や市役所がやってくれない」と言いがちにもなります。
頼るところはあってもいい。特に困っていたら遠慮なく頼っていい。でもすべてが「誰かがなんとかしてくれる」だけになると、よい社会になるとは思えません。
「社会は自分たちでよくしていく。」「未来は自分たちで作っていく。」そういう意識で過ごしたいな、とそんなこともお盆に感じた次第です。
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それでは、また。よいお盆をお過ごしください。